
書道家・心泉さん
2010年3月14日(日)~3月19日(金)
長い冬も終わりを告げて本格的な春の訪れを実感する3月。重い衣に代わり軽やかな服装で心機一転の季節、そんな心もちで書と出会い、長く心のつかえとなってきたものを開放し、その表現により多くの人々の共感を得ている生まれたての書道家・心泉さん。通常八句などを用いる書に対して、六句で想いを表現するその手法には作家心泉さんの形にとらわれない奔放さと、彼女自身の内なる叫びや歓喜が込められています。第一線の経営陣として多忙な日々を送っていた心泉さんは、その仕事への情熱ゆえ現代の心の病とも言われるパニック症候群にさいなまれた一人でした。現代が抱える様々な課題が映し出される「心」と「書」の魂の対話を横糸に、今自らの課題を克服しようと躍進する心泉さんの姿を縦糸にその生き様をご紹介!


"得ちゃん"こと、ジェイコム東京の雑食ディレクター兼キャスターの得居泰司です。
生まれは下町江戸川区、育ちは一部ニューヨーク。エコなハイブリッドが流行ですが、私生まれも育ちも、異文化交流!昆虫のような「複眼的視野」で今日もちびカメ手に奔走中!ニュースはどっちだい!!


2月に放送したHARISSのCD、ライブ情報はHPから!
HARISS公式Web:http://www.hariss.info/
『得一』放送後記 2月2010年3月1日(月)

2月の得一は知る人ぞ知る、あのインディ-ズレーベルで人気のロックグループHARISSをメインボーカル・ギターのAkiraさんの音楽の軌跡を通じてご紹介しました。
HARISSは現在都内のライブハウスを中心に、全国をツアーするバンド。
ヴォーカル・ギター・Akira、ギター・Seiji、ドラムス・Takahashi、スラッピングベース・Yujiの4人は、結成前それぞれの演奏活動で人気をはくしていました。
取材対象のAkiraさん〔本名:上野聡さん〕と弟のYujiさんは郷里の北海道から上京、友人1人を加えた3人のバンドでメジャーレーベルよりデビューした経験を持っています。
それまで愛してやまなかったロック。しかし商業的なプロの世界では「好き」より「売れる」事が求められ、それは、やがてバンドの解散をもたらし、Akiraさんは一時音楽を捨てようとまで考えたそうです。
今回の取材では、本来プライベートな面を露出しないミュージシャンの実生活面もあえてご紹介できた点で、Akiraさんの得一への理解と勇気に感謝したいと思います。
現実的な生活が必ずしも「創造的」な音楽生活を阻害するどころか、かえって新たに音楽を産み出す原動力にもなるというAkiraさんの実感を語ってくれています。
プロの世界に一度は夢破れたものの、その「現実生活」によって蘇る音楽スピリッツ。
そこへHARISSの旗の下集まった4人の結束。血気盛んな20代とは違う深みを増した30代のロックは
番組放送直後から寄せられた幅広いファン層の声に象徴されるように、音に込められた魂をたくさんの人々が共感しています! がんばれAkiraさん、HARISS forever!
『得一』放送後記 1月2010年1月27日(水)

今月はあの未曾有の被害を大都市にもたらした阪神・淡路大震災の15年後を、J:COMチャンネルのスタッフでもあるフリーディレクターの山本きららさんを通じてご紹介しました。
山本さん自身、中学生の時に神戸で震災を体験し、当時、鷹取教会に併設されていたコミュニティFM局で、在日外国人被災者の為に各国の言語で生活情報を流し続けるボランティア活動を経験したのがきっかけでメディア関係の仕事に進んでいる方でした。
その山本さんが毎年郷里に戻り、1.17追悼ボランティアを欠かさずしているということをふとした事から知り、今回の番組化の端緒が生まれました。
山本さんに、昨年行われた長田の追悼模様をマスメディア目線ではなく、同じ被災者の視点から撮影していただき、来場者の方からの貴重なコメントを頂きました。その映像からは、15年が経つ今も、失われた命や思い出、焼けた街など言葉には言い尽くせない深く刻まれた記憶が被災された方々一人一人に今も残っていることが伝わりました。
また、関連取材でご協力頂いた東京消防庁ハイパーレスキュー隊の川村隊長のインタビュ-では、現在のレスキューの原点ともなった、当時現地で「救えなかった命」への悔いと、いかに尊い命を災害から守り・救えるかという涙の上に立つ不屈の精神もお伝えできました。
一方、居合わせた人々が助け合う事、それが大災害に直面した時に残された最善の策、そんな庶民の底力を感じさせる墨田区向島の「京島南レディース消火隊」のおばちゃんたちの下町パワーは、将来首都東京を襲うであろう震災の脅威に、一筋の希望と勇気を与える取材となりました。
改めて阪神はじめ最近まで発生した様々な災害の犠牲者や被害者の皆様に、心からの哀悼とお見舞いを申し上げます
『得一』放送後記 12月2009年12月22日(火)

2009年締めくくりの得一は、東京から飛び出て(といっても予算ゼロ番組だから画像だけ!)岩手県遠野市の語り部の取組みをご紹介しました。
遠野とくれば柳田國男が記した「遠野物語」が有名ですね。 その本が発刊されて来年がちょうど百年にあたり、当地遠野市では柳田が遠野の地に昔から伝承されてきた説話などを知るきっかけとなった「語り部文化」を中心に記念行事を行っており、今回はその様子を現地ケーブルテレビ局の遠野テレビさんと遠野市にご協力を頂き制作しました。
今回特別に、得一のためにはるばる遠野から市のご担当者と、小金井在住で柳田文学の研究者のほか遠野は土淵小学校の子供語り部三人の皆さんが、可愛らしい語りを披露下さり、視聴者の皆さんからも多くの反響を頂きました。
美しい遠野盆地と山々、河童が住むといわれる川。
遠野の自然とそこに暮らす人々の営みが育んだ様々な伝説や説話などを生き生きと遠野の言葉で語る「語り部」の育成は、大人から子供まで幅広く郷土の文化を見直し古里を改めて好きになる活動は感動を呼びました。 思わず遠野に行きたくなりました。
『得一』放送後記 11月2009年12月1日(火)

国際的な演奏活動の日々、もとヴィオラ大好き音大生は今でも、そのスケジュールの間をぬって日本に戻り、今でも現役で多数のオケを指導する祖父や、子供たちを育成する母のために自らも指導を補助する一方、地方の学校への出張コンサートや病院施設の慰問演奏を家族と共に行っています。
一年に渡る取材期間中、現在矢谷明子さんが暮らす、ヴァイオリン職人A・ストラディヴァリの街としても有名なイタリア北部のクレモモナの様子を、番組の為に自ら撮影頂いた場面は、得一始まって以来の「海外ロケ映像」!
明子さんいわく、「演奏家として楽器作りの心を学んだ」という事ですが、ナンチャって現地ロケで「番組作りの心」も分かって下さったようですよ!
矢谷明子さんは、祖父・そして母・恩師などの音楽を愛する心を受け継ぎ、ヴィオラの重厚で温かい響きで人々に安らぎと元気を届けていますが、来年からは国内でも本格的な演奏活動が始動するそうです!
『得一』放送後記 10月2009年10月30日(金)

10月の得一は知る人ぞ知る指笛音楽の奏者 田村大三さんをご紹介しました。
今回は久々に厳しい取材環境でしたね。
と、いうのも取材対象の田村さんご本人は、取材を開始した当初、折からのご高齢からくる圧迫骨折で自宅療養中に転倒し、脳内出血で自力歩行の出来ない重い障害を抱えてらしたからです。
ご本人だけでなく、その後たどりついた田村さんを親しく知るピアニストの方も取材依頼のやりとりの最中、多発性癌で亡くなるなど、八方ふさがり!
唯一の「証言者」は田村さん直筆の「60周年史」。取材開始から約一年、補足的な取材ができないまま放送を決定。偶然にも、ご家族からの6年前のご本人の肉声インタビューや過去の記念公演VTRなどの提供が「救い」となり、何とか54分番組にこぎつけました!
田村さんは大正時代に生まれ、今96歳。小学校6年生の時に、郷里秋田県仙北で、体育教師が合図で吹いた指の笛に魅せられ、しかもこれを誰からも教わらず(世界中のだれもしてなかった事)音楽として完成させた事は改めてすごいと感じましたね。
しかもその指笛を21歳で神田の街頭で一人吹き始めるところもすごい!
その支えとなったのは、キリスト教の信仰、しかも田村大三さんは実は牧師さんの資格をお持ちで、指笛音楽は「路傍伝道」の手段としたのが原点で、単なるストリートパフォーマンスの走りとかでは無かった事も、番組にして改めて感銘を受けました。
もし映画音楽ファン、とりわけゴジラ映画のテーマを作曲されたかの伊福部昭氏にご興味のある方は、昭和34年東宝映画「コタンの口笛」を同氏が手がけた際に、アイヌ民族の苦悩とたくましさを表現するテーマ音楽に、哀愁あふれる田村大三の指笛を特別な楽器として採用されたことをご存知では。また、その時「いつかティンパニーだけで田村氏に演奏を」と告げたということで、のちのち田村さん自身が1993年の「80歳記念公演」で演奏されており、これらを同時に収録しているのは唯一「得一」!必見です!
『得一』放送後記 9月2009年09月28日(月)

9月は、久しぶりに平和について触れるテーマとなりました。
企画段階から実際の取材までの期間がかなり短くて、素材が充分そろうのか、やや不安を抱えながらも、関係者の皆さんのご協力で情報・資料・証言を集める事ができました。
正直言って「物」が主役の得一は初。しかも被爆ピアノ!もの言わぬピアノにどう「インタビューするか」がチャレンジでしたねー!
8月9日「未来への伝言」という被爆ピアノ平和コンサートを基点に取材を続け、企画の中心となる練馬区在住の朗読家・飯島晶子さんがピアノと朗読コラボレーションを始めた経緯から紐解くものとなりました。
飯島さんと被爆ピアノを結びつけるきっかけを作ったジャズピアニスト西郷氏の、被爆者の父をもつ広島のピアノ調律師・矢川さんの楽器を愛する心への共感。
疎開先の鹿児島で、幼い頃に空襲を体験し、戦後、谷川俊太郎氏のエピローグ「原爆を裁く」「五月のひとごみ」に曲をつけ、40年ぶりの演奏を披露した、人間国宝・杵巳流家元 杵屋巳太郎氏の平和への願い。
それらが融合し、さらに、おおたか静流氏や谷川賢作氏、そしてクラーク記念国際高校の100人のジョイントで、時と世代を超えた、音楽というピアノのメッセージとして完成・・その一連のエピソードを通じて、被爆ピアノに声無き声のインタビューが頂けた気持ちでいます。
『被爆ピアノ』は絵本としても毎年8月になると、書店の店頭に並びますが、その一節にあるように、
一音が原爆で痛められた心を蘇らせ、音楽を愛する心が人間に残る限り、人類に平和の希望が残る
そんなメッセージが聞こえてきます。
なお被爆ピアノは、あくまで非政治的に平和を伝えながら、近く原爆を投じたアメリカにも渡る準備を進めているとの事です! 頑張れ音楽!頑張れ被爆ピアノ!
『得一』放送後記 8月2009年08月27日(木)

8月はまぶしい夏の日差しにピッタリの三十路チアダンスチームCuriousの皆さんをご紹介しました!きっかけは、あのJ:COMチャンネルの人気番組「ステキにダイニング:style」の明るいナレーションをいつもされているアナウンサーの西山えり香さんがCuriousのコアメンバーで、昨年夏に小金井市の東小金井北口商店街エコサマーフェスティバルのステージでパフォーマンスしたって近所の定食屋さんのオヤジさんから教えてもらったことから始まりました!
取材に入る前に見たHPの虎ノ門の屋台路上ライブはえらいインパクトあり!で、様子を西山さんに聞き、早速下北沢のライブハウスなど取材開始!
確かに皆さん「アラサー」でしたが、ものおじせず、思いっきり楽しんで周りも元気にしちゃうその不思議なステージパワーに圧倒されました!メンバーのだれもが仕事や家庭、子育てと今どきの30歳代の女性のライフスタイルをお持ちですが、このチアという「大人の部活動」がさまざまな事情を超えて、メンバーにかけがえの無い「絆」を生んでいる事・周りを励ますつもりが自分が励まされているところに、何とも明るく・爽やかな、奔放な三十路ギャルを実感しました!
スタイル・ジャンル、そしてパフォーマンスの場を選ばない神出鬼没なCuriousは、新メンバー拒まず!
また今考えているのは、どこかの老人ホームなんぞでお年寄りをチアしたいとか・・・・
詳しくは、Curious☆Web:http://cheercurious.web.fc2.com/ E-mail:cheercurious@yahoo.co.jp
『得一』放送後記 7月2009年07月29日(水)

7月の得一はノリのいいビートが響く教室模様をお送りしました。
ドラムサークルとはアメリカで誕生した打楽器アンサンブルを通じたコミュニケーションレクのようなものですが、
そのノウハウに触れて、実際に2003年以来音楽授業に取り入れた、板橋区立高島第五小学校の菊本るり子先生の着眼点や、
生徒達の反応、そして思わぬ効果をドラムサークル教室最前線としてお伝えしました。
得一をよくご覧になる皆さんは「あ、あの緑のカーテンの先生と同じ人だ」とお気づきになったと思います。
そう、ひょうたんからコマみたいですが、緑のカーテンで菊本さんを取材したらドラムの取組みが飛び出てきたんです!
ドラムサークルって自分もまわりも元気になる、だから授業に取り入れよう、という発想は緑のカーテンと同じ。
菊本るり子さんの「いいものは即子供たちに」の考え方に心打たれ、実は「カーテン」と「ドラム」を合わせた
二部作に仕立てあげてみました。
皆が輪になって、自由に演奏することは、いつの間にか他の参加者の気持ちを感じ取るようになる「社会性」を育み、
一定のリズム演奏は、教室で問題行動を起こす子供たちの改善に効果があると言う事が、最先端「脳神経学的研究」
で解明されています。
それは教室の範囲を超えて、今現代人に欠けるコミュニケーションの気迫さへの、改善の道を記しているかのようです。
今全国の教育関係者からも注目されている菊本るり子さんとドラムサークル、ぜひ皆さんも体感されることをお勧めします!
『得一』放送後記 6月2009年06月26日(金)

6月は熱く歌い、深く伝え、ライブに振り向かせるハードコアフォークシンガー松島英生さんをご紹介しました。
アングラミュージックというと、どこか過激・ダーク・破滅的かなと思いましたが、初めて英生さんに出会った
拠点の池袋3-Tri(トライ)のライブステージぶりは
確かに「最初コワッ!最後泣かせる」歌いぶりでした。
あくまでアマチュア、正業は某新宿の大手ホテル社食の調理師。でも多くの音楽関係者や路上ライブファンは、
音楽的な飛躍を心待ちにしているようです。
プロだのアマだのしのごの言わず、歌い続けて、英生的な人生観や日常性→これを「松島節」と人は呼ぶ
を叫び続ける366連発ライブ宣言の2008年11月以来、6月・出身地大阪での凱旋ライブ200回達成と、
意欲的にライブハウスのジョイントや路上で、とにかく毎日歌っているのです。
しかしつい先週、職場で左足に煮えた油をかぶり、大火傷という事故!過激にステージする英生さんにとっては大ピンチ!!
それでも彼は足を引きずり、今日も路上へ・ライブハウスへと挑んでいます!366連発ライブの自分への約束を果たすため!
得ちゃんも池袋3-Triへ応援にいくつもりです! 頑張れ英生!」
『得一』放送後記 5月2009年06月03日(水)

5月得一は、本格的なプロ野球シーズン入りにどこか添う内容をということで、板橋区在住・歌手の杉野強さんの、ある種運命的な歌との出会いをご紹介しました。
野球少年として夢見たプロ野球選手への道と、中学時代の腰の故障からの夢の挫折。
その後、以前から好きだった長渕剛の歌に影響され、目覚めた、歌手の道。
路上ライブで手ごたえを感じて一念発起上京した彼と、あるボイストレーナーを通じて紹介された作曲家の美樹克彦さんとの出遭い。
美樹さんが当時手がけていた作品、戦後プロ野球界を揺るがした八百長疑惑・いわゆる「黒い霧事件」で永久追放となった悲運のエース池永正明の復権応援歌『翼は折れても』。
杉野さんは、「道を断念する」経験を同じく持ち、野球を愛する者として、世間の非難や誤解をものともせず、奇跡の復権が実現した2005年までのおよそ5年間、全国の路上でライブを通じて池永氏の名誉回復を、同氏を支援する復権会と共に訴えてきました。
関係者のご協力を得、現在、福岡在住の池永氏からのメッセージも頂き、放送しました。
コメントの中には復権後もスポーツ紙の取材では語らなかった同氏の想いの部分もありましたが、今回はあえて音楽表現者の側からの番組として綴りました。
手探りで上京し、いきなり社会的にも課題のある「疑い」「制裁」と「復権」をテーマにした歌との出会った杉野さんは、無心に白球を追った心そのままに、今も人の心に届く歌を作り続けています。
折りしも5月は裁判員制度が歴史的なスタートを切った月。一曲の歌に込められたある野球人の復権応援歌のメッセージはその重さを増している気がします。
『得一』放送後記 4月2009年04月24日(金)

4月の得一は、鎌倉時代以後、僧侶の説教が次第に芸能化した「説経節」の若松若太夫をご紹介しました。
説経節は、説経浄瑠璃とも言われ、三味線の弾き語りや時として人形(例えば八王子車人形)とも共演する古典芸能で、後に講談や人形浄瑠璃、現代では演歌などに影響を与えた日本人の哀歓に訴える芸能と言われています。
その江戸期以降に興隆を見せた若太夫一門。殊に明治から大正期に嘉納治五郎・村井玄斎・横山大観などに支持された、初代若松若太夫・同二代目。
そして、平成に三代目として襲名し、若松一門の家元である、東村山ふるさと歴史館の学芸員・小峯孝夫さんを、その芸の継承と共に「説経節」の趨勢を番組ではお伝えしました。
芸能の宿命ともいえる世間の関心や、戦争など時代の荒波に継承が断絶する危機とそれを放っておけない人達によって蘇生・再び継承される事になったのが説経節。その数奇な歩みと、今に生きる歴代若松若太夫の妙技は、三代目若松若太夫もいう「人が演じ継承するからこそ」命宿る芸能である事の重要性を痛感する取材となりました。
今幾世代に渡り受け継がれている多くの古典・芸術・技法などは、どれも現代に託された先人達の深い想いが託されている事を忘れてはいけないだけでなく、一度博物館の展示資料と化すると真の姿は二度と再現できない。「伝統」は生きて継承されることの重大さを、中世以来時代を超えて人々の心を潤す平成の説経節・若松若太夫の芸への執念にそれを垣間見ました。
皆さんも理屈抜きで一度、これら古典芸能を体感して頂きたいです。




